東京おばちゃん道

東京のおばちゃんがオイオイな日々を綴ります

姑オイオイ日記 第6回 おふくろの味

第6回


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これは、昔姑と同居していた頃(1990年~2003年くらいまでの間)に起きた、同居にまつわるオイオイなお話を、とあるメルマガにに連載していたものです。

ブログに再掲載するにあたって一部加筆・修正しています。

 

多くの家庭の中には、それぞれの独自メニューや味があるのではないでしょうか。

 

姑と同居していたなかで、一番大変だったのが、食事に関することでした。

同居するまではわからなかったのですが、予感は的中でした。

 

家事は苦手と言っていたのは事実で、掃除もすごかったけど、こと料理に関して、本当にすごかったのでした。


料理は好きじゃない、下手であると自認しているのはまあよいのですが、料理センスが全くない、という事を自覚していなかったことが問題でした。

 

食材の組み合わせ、とか、美味しいかどうか、とか、栄養、とか考えずに、作ってあるものはテキトーにアレンジし、冷蔵庫にあるものもめちゃくちゃ(!?)に加工してしまうのでした。

 

おふくろの味とは

幼少期に経験した家庭料理、もしくはそれによって形成された味覚、またそれらを想起させる料理を指す言葉。「おふくろの味」という言葉の普及は料理人の土井勝が出演する番組(後述)の影響によるところが大きいとされる。出典ーWikipedia

 

姑作の心に残る名(迷)品

その1 謎味のかぼちゃのスープ

ワタシが前日の夜から作っておいたカボチャのスープ。
翌日会社から帰ると、スープに異物が浮いていたのです。
なにかと思うと、“ボイルしたホタテ”が勝手に加えられていたのです。
ええー!?ホタテの味が濃いから、カボチャの味とケンカになって、謎の味になっていたのです・・・

前の日、カボチャを買ってきて裏ごしして作ったんですよ。それが、正直、マズイものになってしまっていたのです。

( ;∀;)

ワタシの労力をかえしてーーーー!

 

その2 謎肉の炒め物

あるひの夜、テーブルに並んでいた炒め物。
中華っぽい?

サヤエンドウと肉の炒め物かなと思ったら、“肉”ではなく“卵”だったんですよ。

卵と肉、間違えますかね?
つまり、卵の色が“肉“の色すなわち”茶色“でした。

卵の色って、”黄色”ですよね。だから、わからなかったんです。
一体どうしたら卵を炒めて茶色になるのでしょうか?

サラダ油を焦がしてしまったのでしょうか?

味は・・・・謎でした。

 

その3 あるものin餃子

珍しく手作りギョウザを作ったと嬉しそうな姑。
皮の中に入っていたのは、“マカロニ”と“野沢菜”でした。

え?

姑は「余ってたから入れた」って言うんですが、餃子の皮もマカロニも同じ炭水化物じゃないですか!おかしいと思わないのかな?

そこに野沢菜????

余ってりゃなんでも入れるんかい‥と驚きました。

お味の方はもちろん、野沢菜炒めの味でした。

はい、マズかったです。

 

その4 牛丼がシチューへ

牛丼を作っておいたら、翌日に違うものに変化していました。
姑「○○くん(息子のこと)がね、食べないっていうから、“お肉のあれ”、(姑は牛丼という言葉を知らないらしい)汁をすててシチューにしたから」

何を言っているのかよくわからなかったのですが、フライパンを見て納得しました。

ワタシが作っておいた牛丼は無残にも、“シチューのようなもの”に変化していたのです。
それも、ホワイトソース入れて、ブロッコロリー入れたらしく、とけてドロドロになって、薄茶色のものになっていました。

っていうか、牛丼に長葱入ってるし、卵も入ってて、醤油味だったんですが、それらがみーーーーんなごちゃまぜになって・・・すごい。。。

見た目も変だし・・・ああ恐ろしい物体になっていたのでした。

牛肉に白(?薄茶)色のシチューってなんでしょう?

( ;∀;)

 

その5 どらやきにぎり

姑は昭和1桁生まれでした。

この時代生まれなら、当たり前のように上手におにぎりを握れるものと信じていたワタシが間違いでした。
おにぎりを握らせると、“どらやき”のような形にしか握れないのです。

三角形とか、丸とか、おにぎりの形にならず、「どらやき」みたいな形になってしまうのです。

ワタシ「こうやって、こうして・・・・三角形△になりますよ」

一応作り方を説明してみたのですが、

姑「わからん」

と言って拒否されてしまいました。( ;∀;)

以降、おにぎりを作ってもらうのはやめました。

 

このように、ワタシが予め作っておく料理は日々、姑流のアレンジが加えられるし、冷蔵庫で残っている食材は、想像もつかないものに変化していました。

そう、我が家は知らぬ間に魅惑の食卓(by姑)となっていたのでした。

 

同居をし始めたころは、毎日が驚きの連続でした。

珍料理以外にも、不思議な事がありました。

 

レトルトカレーやインスタントのフリーズドライ味噌汁を冷蔵庫に入れる

ワタシ「いや、冷蔵庫に入れなくていいんですよ、常温って書いてありますよね!」

って言ってもやめませんでした。
かと思えば、開封後要冷蔵と書いてある“つゆの素”や“ぽんず”を、シンク下に置くのです。

ワタシ「お義母さん、これは、開封後要冷蔵って書いてありますよね!」

日々ワタシは冷蔵庫やシンクしたをチェックしていました。

 

ゴミの分別とゴミ捨てができない

燃えないゴミを紙袋に入れ、燃えるゴミをビニール袋にいれていました。
長期保存出来る野菜保存袋を買ってくれば、その中に“ビニール袋に入ったままの野菜”をいれていました。

 

ラップをかけずに冷蔵庫にいれる

同居しはじめの頃、残ったおかずにラップをかけずに冷蔵庫しまっていて、ガビガビになっていました。

( ;∀;)( ;∀;)

で、そろそろ疑問に思いますよね。


ウチの父ちゃんは一体何を食べて育ったのだろうか?

 

ワタシも、最初不思議だったんですよ。
でもね、わかりました。

 

義母が子育てしていたときは、そのまた義母、ウチの父ちゃんからみたおばあちゃんが同居して、家事は全部おばあちゃんがやっていたそう。

義母は仕事をしていたので、特に料理は全くしていなかったそうです。

 

前に聞いたことがあるんです。

ワタシ「ねえねえ、おふくろの味って言ったら何?」

ウチの父ちゃん「うーん、言われてみれば、ないかも。ばーちゃんも料理もイマイチだったんだよな。お金はあったけどね。うん、家族でよく行った近所の焼き肉屋かもね!」

 

それって、、、おふくろの味じゃなくて、、、

家族の行きつけの店とその思い出

、だよね。

 

ではでは。

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