東京おばちゃん道

東京のおばちゃんがオイオイな日々を綴ります

姑オイオイ日記 第14回 わが家のおかず危機 その2

第14回


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これは、昔姑と同居していた頃(1990年~2003年くらいまでの間)に起きた、同居にまつわるオイオイなお話を、とあるメルマガにに連載していたものです。

ブログに再掲載するにあたって一部加筆・修正しています。

 

前回、姑がどんどん料理をしなくなっていく事を書きました。

 

第一段階は、ウチの父ちゃんの平日の夕食を用意しなくなりました。

第二段階で、ワタシの夕食のおかずがなくなってしまいました。

 

確かにワタシの仕事が忙しい時には、家で夕食を作れないどころか食べられないことが続く時期もありました。

冷蔵庫の中には、週末にまとめ買いした食料品や生協で頼んだものがあるので、ワタシは週末におかずを多めに作り置きしたり、会社から帰ってきてから翌日のおかずを作るなどしてしのいでいたのです。


生協の登場!が、姑からしたらストレスだったようです。

姑は生協から届いた生鮮食料品でおかずを作る気配はありませんでした。

姑「何を作っていいかわからん」「アンタは食べるかどうかわからん」

と、前回も書きましたが、ある日はウインナーが焼いたもののみ、ある日は湯豆腐のみ、など、夕飯のおかずがどんどん悲惨になっていきました。

当然私の分はないし、息子からはおかずがないとブーイングです。

姑に何を言ってもダメでしたので、ワタシは日々家に帰ってはおかずを作っておくのですが、翌日には姑に食べられてしまいワタシの分は残っていない。

延々とこれの繰り返しでした。

 

姑の夕食作らない問題がついに第3段階へ突入

息子はこの頃、小学校高学年になり、週に3回ほど学習塾に通っていました。

家から少し遠いところにあったので電車で通っていて、3日のうち週に2日ほどは、帰りが遅めで19時半以降になる曜日がありました。

すると姑は息子に「今日はお母さん遅いの?」と聞き「多分早いと思う」と答えると「じゃあ何も作らんでいいね」と息子の分すら作らなくなっていったのです。

こうして、姑の料理作らない問題は、ウチの父ちゃんの分→ワタシの分→ムスコの分と、どんどん作らない範囲を拡大していきました。

 

そして最終段階へ

ある日のこと、息子が朝食にホットドッグを食べたいというので、日曜日にホットドッグ用パン(6本入り)を買ってきました。

ウインナーにレタスをはさみ、月曜の朝、早速2人で食べました。翌日の朝、今日はチーズドッグにしようかとパンの袋を空けると、ん?残りが3本しかないのです。

 

あれーおかしいなあ。残りは4本のはずだよね。

という事は姑が昼に食べちゃったんだろうな、そう思っても黙っていました。

で、息子が姑にホットドッグのパン食べた?と尋ねても

姑「食べてない。お父さんじゃろ」

と言ったというのです。

月曜の晩、ウチの父ちゃんは遅かったし、あり得ないが一応ウチの父ちゃんに聞いてみたら、知らないという。


そして別の日の晩、コーンスープを作っておきました。それをは翌日の晩に食べようと思って作っておいたのです。

でも、翌日見ると鍋のスープが妙に減っているではないですか。

台所には大きなどんぶりが・・・・・ この大きなどんぶりで昼ご飯に食べてしまったのですよ。

でも、姑に聞いてみると

姑「知らん。食べてない」
絶対に認めなくなってしまいました。

 

ワタシ「家にあるものは何でも好きに食べてOKですよー」

っていつも言っているからいいんだけど、どう考えても姑が食べたはずなのですが、とにかく絶対に認めないのです。

 

え、認めないんじゃないの?

食べたの忘れちゃったの?

 

どっちにしても恐いんですけど・・・・。

怒らないから正直に言ってーーーー。

 

こうして、同居期間が長くなっていくにつれて、姑の料理ボイコット(忘れ?)は激しくなる一方でした。

最終段階には、家にあるものを食べたことすら、認めなくなってしまったのでした。

( ;∀;)

 

ではでは、本日はこれにて失礼いたします。 (本日も当サイトにおこしくださり、はてなスターやブックマークなどありがとうございます。)

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