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これは、昔姑と同居していた頃(1990年~2003年くらいまでの間)に起きた、同居にまつわるオイオイなお話を、とあるメルマガにに連載していたものです。
ブログに再掲載するにあたって一部加筆・修正しています。
姑とのいざこざの発端は、同居を始めてから7~8年たった、ある年末の大掃除にありました。
ワタシの予想は大当たりでした。
姑は、趣味の洋裁はとても上手なのに、家事嫌いな人でした。
そして、動くことが全般に嫌いなようでした。
ワタシが家にいると基本的に何もしない人でした。
ワタシも働いていたので、年末になると水回りの大掃除はだいたい外部に発注していました。
外部にお願いすると、やはりプロのお仕事なので見違えるほどキレイになるんです。自分の手が回らなくて汚くてイライラするよりは、プロにやってもらったほうが良いなと実感していました。水回り、フローリングのワックスがけ、など、プロにお願い出来るものはどんどん利用していました。
それでも、いくつかは自分達でやらねばならない箇所があります。
姑は毎年ワタシ達が年末に大掃除をしていても全く知らん顔だったので、たまには大掃除くらい手伝って欲しいと思い、ある年の12月に、「大掃除分担表」を作り、姑に冷蔵庫と台所のシンク下だけ掃除をお願いしました。
年末近くなって、私が何気なくシンク下を見ると、そこは以前とは全く違う状態になっていたのです。
並べ方とかぐちゃぐちゃだし、古いものを前に、ストックの新しいものを後ろに、というような事が無視された状態でした。
うーん姑が間違えたのだと、前はこうなってなかったでしょ、こういう理由でこう置いてあったので、こうしておいてね、と言うと、姑は
「私はそのままにした。最初からそうなってた。」
と言いだしたのです。
(-_-)
ワタシとしては別に責めるつもりもなく、台所は毎日使う場所だから、いつもと同じ場所にあったほうが良いかなと思って「いやいや違うよ。このほうが使いやすいよね」と言っても、
「知らん。私は何もしてない」
と、全く認めないのでした。
以前から、姑は自分の誤ちを決して認めず、常に言い訳、人のせいにして、「ごめんなさい」と言った試しがない人でした。
あまりに強く言い張るので、ついにワタシも日頃の不満が出て、
『自分がやったんだから、認めたらどうですか?』
と言ってしまったのです。すると、
姑『アンタがやったんじゃろ』
ワタシはここでプツッ。
『知らないだの人のせいにしてばかりで、何で間違いを認めないんですか!』
と叫んでいました。
(シーーーーン)
( ;∀;)やばっ、言っちゃったって一瞬思ったんですがもう後の祭り。
姑はむくれた顔で無言で部屋へ戻り、その翌日から浜松に住む妹の家へ行ったのです。
それ以降、年末年始、夏休みなど、私が長期で休みとなると、ひとりで浜松に行くようになりました。
そのような行動が3年くらい続いていたある日、姑は出ていく、浜松に帰ると言い出して話し合いが行われたのですが、
第4回の通り、それから数週間後にいきなり撤回したんです。
「ごめんなさい、やっぱり家にいさせてください」
初めて謝罪の言葉を口にした姑。
姑は東京の友人に言われたって言ってましたが、どうやら占いに行っていたようです。
なんでも、占い師に見てもらったところ、占い師から
「あなたが全面的に悪い。今時そんなふうに一緒に住んでくれるなんてありえない」
と言われたようなのです。
(もう限界かもと思っていたのですが、ワタシもその時はNOと言えず、そこからしばらく一緒に住みました。)
年末の大掃除
そして姑から謝罪があった年の年末は、数年ぶりに浜松に行かなかったんです。
もしや変化の兆しか?と密かに期待したワタシ。
年末いつものようにウチの父ちゃんと息子と忙しく大掃除をしていると、姑が珍しくリビングに現れたのです。
掃除嫌いの姑は、それまでは、ワタシ達が掃除していてもずっと自分の部屋にこもりきりでした。
もめたキッカケが年末の大掃除だっただけに、仲直りのキッカケも年末の大掃除にしたいのかしら?と勘繰るワタシ。
立ったまましばらく我々を眺めていた姑は、やがて足元に置いてあった掃除道具の中から雑巾とスプレー洗剤を手にとり、ウチの父ちゃんがやっていた照明器具の掃除を手伝い始めました。(え?まさか手伝う気になった?)
が、手にしていたスプレーは、「フローリング用のつやだしマイペット」でした。
ち、ちがーう!!
( ;∀;)
ではでは。
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