東京おばちゃん道

東京のおばちゃんがオイオイな日々を綴ります

姑オイオイ日記 第2回 同居の理由

第2回



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これは、昔姑と同居していた頃(1990年~2003年くらいまでの間)に起きた、同居にまつわるオイオイなお話を、とあるメルマガにに連載していたものです。

ブログに再掲載するにあたって一部加筆・修正しています。

 

 

それでは、第2回は、ワタシが姑と同居した理由についてです。

いまどき、姑と同居するなんて、あまり聞かないですよね。

うん、今だったら絶対にないと思います。

でも、当時はそれしかなかったんですよね。

 

当時は結婚or出産で退職するのが当たり前の時代だった

ワタシが就職した1980年代半ばは、女性の平均勤続年数が3年くらいだったこと、知っていますか?

新卒で就職して、たったの3年、です。

正社員で、ですよ。

その頃は、派遣社員とか、契約社員とか、なかった時代。

 

ワタシは短大を卒業して広告会社に就職したのですが、入社してすぐに、長く働くなら大卒の資格をとっておいた方が良いのではと思って再び大学に編入して仕事の後に大学に通っていました。

出産前に卒業予定だったのですが、単位の取り方を間違えて留年してしまったのでした。

 

1986年施行の男女雇用機会均等法より以前は、女性が大企業に就職したいなら、4年制の大学より短大へ進学した方が有利な時代でした。

大学に行ってしまうと、就職先が極端に少なくなって、大卒女性が採用される人数も極端に少なかったんですよね。大卒女性が敬遠されていた時代でした。

でもワタシが就職してまもなく男女雇用機会均等法が施行され、やはり均等法以降、会社の環境が変わっていきました。

ワタシが働いていた会社も、1986年から、大卒女性を採用しはじめました。

はじめは少なかった大卒女性の採用数も年々増えていくことが予想されましたし、短大卒の女子社員が庶務的な仕事にまわされがちになっていくんだろうなと感じました。

入社前にOGヒアリングで聞いていた、「職種転換制度はないが、入社してからマーケティングや営業の仕事に異動する人もいる」のが難しくなるのではないかと感じていたのです。

 

会社では、子育てしながら働く女性はおろか、結婚して働いている女性もまだまだ少なかった時代で、ワタシが働いていた広告業界では結婚している女性も少なかったように思います。

そして、育児休業制度の施行が1991年からだったので、ワタシがムスコを出産した1990年には、会社の育休制度の適用に間に合いませんでした。

ワタシは産休制度しかとれませんでした。

 

産休制度とは

産休というのは産前6週間、産後8週間しかなくて、出産して2か月半後には、職場に復帰しなければならなかったのです

いまでは、子供が1歳になるまで育児休業制度を取得するのが普通になってきているので、産休だけと聞くと「は?」かもしれませんが、1991年以前に出産した女性達にとって、仕事を続けるハードルはかなり高かったのです。

(注意:育休制度の導入状況は会社によって著しく異なりました。女性が多い企業など早くから育休制度を導入しているところもありました)

 

また、子が1歳になるまでは、1日につき1時間の時短勤務を取得することができる育児時短勤務制度があったのでこれを取得しました。

ただ、これって実際にやってみるとわかるのですが、みんなが働いている中「お先に失礼します」って帰るのは、当時ではかなりレアな現象だったし、ばつの悪い事でした。

言いづらいし、会議を途中で抜けたり、会議に出られなかったり、なにかと自分が悪い事をしているような気持ちになっていました。

 

そんなわけで、ワタシのケースでは、仕事に加え、残り半年間週2回大学に行き卒業するにはどうしたらよいのか?も一緒に考えねばなりませんでした。

 

ワタシは表を作り、メリットとデメリットを整理しました。

いくつかの選択肢の中で、その時には同居が最善の選択だと考えたのでした。

作った表はこんなものでした。

 

仕事を続けるためにどうしたらよいのか考えて作った表

  実家に
預ける
姑と同居 保育園 退職
精神面 ×
肉体面 ×
経済面 ×

 

選択肢は4つありました。

ワタシ達にとって一番確実なのはどれなんだろうか?

 

当時ワタシは会社の中でも管理部門にいたのですが、残業や出張もわりとありました。

ウチの父ちゃんはその頃、某証券会社の支店営業マンだったので、非常にハードでした。朝早くから夜遅くまでは当たり前だったのです。

なので、サポート無く、夫婦だけで保育園に預けて乗り切るのは困難だと考えていました。

幸いどちらの親もサポートを申し出てくれました。

 

しかし、ワタシの両親は都心部の社宅(渋谷区)に住んでいて、同居や引っ越しは不可能でした。

毎朝送り迎えをするにはワタシたちも都心部に引っ越しが必要な状況で、その経済的な負担も悩みでした。

一方で、ウチの父ちゃんの親は姑1人で神奈川県に住んでいて、身軽な状態でした。引っ越しもいとわないし同居OKでした。

精神的な負担、肉体的な負担、経済的な負担、さまざまなケースを考えて検討しました。

 

ワタシが退職するという選択はありませんでした。

もともとワタシは長く働くために、女性の勤続年数が長い会社を選択し、短大卒では長期的にキャリアに問題が発生すると思って、すぐに大学に入り直し、総合職へ転換する事を計画していたのです。

専業主婦の母親を見て、ワタシは自ら長く働いて沢山稼ぐことが必要だと考えていたからです。

それに何故か、ウチの母も姑も

「アナタは働いていた方が良いから、続けなさい!」

と言ってくれました。(どんだけ専業主婦に向いてなかったのか・・・・)

職場にも、長く働いているるお姉さま方が何人かいて、その中にお子さんがいるお姉さまたちが

「絶対に辞めちゃダメ!頑張りなさい!!」

と応援してくれました。

当時の環境を思ったら、とてもありがたい事だったです。

でも、出産というハードルは結構高くて、復帰直後からしばらくは、実際相当しんどかったです。

 

姑との同居を選択した理由

最終的に選択したのは、「姑と同居」でした。

精神的には一番辛いと思ったけど、20代のうちに出産して若かったし体力もあって、同居していたおかげで、大学も無事に卒業できたし、仕事を続ける事もできました。

当時の環境からしたら、それがベストだったと思います。

 

最初はお互いに気を遣いながら、恐る恐るな感じでスタートしました。

しかし、同居する期間が長くなっていくにつれて、メルマガ連載のお話を頂いたときは同居して11年目だったのですが、月日とともに、本当にいろいろ出てくるんですよねぇ、予想も出来ないような事の数々が。

日々起きる嫁と姑のバトルに悩んでいた時期でもありました。

 

笑って泣いて、そんな日々の生活のさまざまな出来事をこれからご紹介してまいります。

 

つづく

 

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