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こんにちは。
連載のはじまりなのに・・・
あれは200X年頃の話ですが、仕事仲間のひーさんとリレー執筆で、姑との同居についてとあるメルマガに連載することになったのに、いきなり姑と別居するという話からのスタートになってしまいそうでした。
結局その後、いろいろとあってしばらく同居は続いたのですが、はじめは連載すぐにおわっちゃうかもと焦りました。
こちらの記事は、20年くらい昔とあるメルマガにに連載していた、かつて一緒に住んでいた姑との同居にまつわる話です。
本ブログに再掲載するにあたって、加筆・修正しています。
冬のある日
その日、朝から冷たい雨が降り、強い風が吹いていました。
ワタシと息子は家を追い出されたのです。
え?姑に出て行けと言われたかって?
ちがうちがう、ウチの父ちゃん(ダンナ)、義弟(独身)、姑の3人で、我が家で
『姑との別居に向けて話し合いをするからお前達はどっか出かけてきて!』
と言われたのでした。
立ち会いたい気持ちもあったけど、息子の前でトラブルになるのも何だと2人で家から電車で一駅のところにある、市民プールへ出かけました。
話し合いはずいぶん長かったです。
2時間ほどプールに入って、ゆっくり着替えて、家に帰ろうと電話をしたんだけど、
『まだ途中だからもうちょっと時間潰してきて』
と言われ、更に電車に乗って近くのショッピングセンターへ行き、ゲームセンターに行ったり買い物をしたりして時間を潰していました。
姑との確執
数年に渡る姑とのいざこざは、同居を始めてから11年ほどたった夏にピークを迎え、最後の砦であった息子にまで悪影響を及ぼすようになってしまいました。
ワタシもこれには黙っていられず、一度姑と離れて生活し、互いに冷静に考えてみて、結論をそれから出そうという提案をしたのでした。
ウチの父ちゃんはずっと姑と別居することを拒否していたのですが、さすがに息子への悪影響に配慮し、ついに話し合いを決断しました。
その日4時間以上の話し合いの後、ウチの父ちゃんと義弟がショッピングセンターまでやってきて、喫茶店で話の一部始終を聞きました。
結論としては、1ヶ月後を目処に姑が我が家を出て行き義弟(独身)と一緒に住むことになりました。
嫁姑の難しさ
11年以上も一緒に生活をしてきたけど、実は互いに何もわかりあえていなかったというわけでした。
ほんの小さな衝突やわだかまりの積み重ねが、積もり積もって大きくなっていきました。
この11年間の私の努力は、ちぃーとも伝わっちゃいなかったんです。
悲しいかな、むしろ怨まれていた(驚)こともわかりました。
ああ世代を超えたコミュニケーションはかくも難しい。
世代というか、嫁と姑のコミュニケーションは、うまくいかなくて当たり前だと思った方がよいのかもしれない。
話し合いが行われた日の朝、掃除をしていたら、結婚祝いに頂いた掃除機がプスンといったきり動かなくなりました。
掃除機も私達も限界だったのです。
新しい掃除機を購入して家に帰ると、いつも通り姑は自分の部屋で寝っ転がってテレビを見ていました。
(to be continued)