東京おばちゃん道

東京のおばちゃんがオイオイな日々を綴ります

姑オイオイ日記 第3回 ウチの姑こんなヒト

第3回



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これは、昔姑と同居していた頃(1990年~2003年くらいまでの間)に起きた、同居にまつわるオイオイなお話を、とあるメルマガにに連載していたものです。 ブログに再掲載するにあたって一部加筆・修正しています。

 

姑のプロフィール

ウチの姑は、昭和ヒトケタ生まれでした。

身長150㎝、推定体重75㎏、血液型O型。

 

寝っ転がってテレビを見る事、お菓子を食べる事が大好きで、趣味は洋裁でした。

3女1男の長女で静岡県浜松市で生まれたそうです。

姑が言うには、子供時代は裕福な家だったそうですが、戦争で両親を亡くして以降、財産は親戚に全て取られてしまい、2人の妹と弟1人を育てるために自分は中学を卒業してすぐに働き始めたそうです。

どのタイミングで東京に出てきたのか聞いていませんでしたが、小さな建設業を営む義父(ウチの父ちゃんのお父さん)と結婚し、そこで使う住宅パーツなどを作る工場を経営していました。

息子2人(ウチの父ちゃんが長男で、次男が5歳離れています)が生まれ、夫婦で働いていて、高度成長期にはかなり裕福な生活をしていたそう。

ただ、高度成長期自営業あるあるの、お金に余裕ができるとお父さんは愛人を作って出て行ってしまう、が起こり、ウチの父ちゃんが小学校高学年からずっと、両親は別居状態だったそうです。

ワタシがウチの父ちゃんに出会った頃もすでに義父は家にいなくて、武蔵小杉の自宅に祖父母と姑、ウチの父ちゃんと弟、の5人で住んでいました。

そんなわけで、姑もずっと自分の工場を経営していたので、家事全般はウチの父ちゃんの祖母が全面的に行っていたそうです。

その後、祖父母たちは故郷に戻ることになり、以降は姑と息子2人で住んでいて、ウチの父ちゃんが結婚して家を出た後は、マンションに引っ越して次男(ウチの父ちゃんの弟)と2人で住んでいました。

姑自身も、舅姑と長い間同居していたので、ワタシたちと一緒に住むことに抵抗がなかったのかもしれません。

同居にあたっては、お互い引っ越して新しく始めるのが良いだろうという事で、新しい家(この時は東京都杉並区の賃貸マンション)に引っ越しすることになりました。

弟くんは一人暮らしを始めました。

 

姑は、孫(ウチのムスコ)が生まれるので一緒に暮らせるのはとても嬉しいと(最初は)言っていました。

ワタシも、義父の事で苦労してきたことも聞いていたので、これからは姑が家族で楽しく生活できると良いなあなんて、殊勝な事を思っていたものでした。

 

同居を始めてまもなく姑の家事スキルに驚く

姑は、どちらかといえば口数も少なめで、友人もほとんどいませんでした。

本人はずっと仕事ばかりしていたからだと言っていましたが、時々連絡をとっていたのは故郷浜松に住んでいる妹と、川崎市に住んでいる妹、あとは姑の工場で働いていた弟くらいでした。

一緒に住む前から

「家事はあまり好きじゃない」

と言っていたのでちょいと気にはなっていました。

結婚前に住んでいたウチの父ちゃんの家に遊びに行くと、かなり家が雑然としていたこと。

もしや、掃除しない人?

あと、外食はよくしていて、ワタシが遊びに行った時の夕食はほぼ外食でした。

もしや、料理もしない人?

あと、母の日や誕生日にプレゼントを用意しても

「悪いわね」、「いいのに」

とは言うものの

「ありがとう」

が出てこない人でした。

もしや、ありがとうが言えない人?

 

だいたいこの手の「もしや?」は大当たり?

かもしれない・・・・

 

ではでは。

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